池井戸潤 タイヤとは
空飛ぶタイヤ
リアリティがあっておもしろかった。実際に事故を起こしてしまった中小企業に対して銀行や取引先がとる態度や、原因を追究しようとする運送会社に対して大手自動車会社がとる態度もリアルだったし、事故を起こした運送会社、大手自動車会社、銀行それぞれの立場から思惑や苦労が表現されていて、1つの事故を様々な角度から検証していくのが見事だった。また、事件の容疑者扱いされた運送会社社長の家族を巡るやりとり、特に小学校のPTA総会について、直接PTAとは関係ないのに事故を起こした責任をとってPTA会長を辞めさせようと追い込むほかの親たちとの攻防も見応えがあった。
空飛ぶタイヤ(Jノベル・コレクション) (Jノベル・コレクション)
池井戸潤氏の渾身の力作が、Jノベル・コレクションのラインナップに加わりました。
単行本が出版されたときにきっちり購入済みだけど、せっかくなのでJノベル・コレクション版も購入。
こんなことばっかしてっから金が貯まらないのね、と思いつつ。
出版されて久しいし、直木賞候補にもなったし、あの、散々報道された事件に題材を取っているこ
とでもあり、内容の概略は割愛中。
池井戸潤氏の小説を読むと、これってエンターテイメントではあるのですが、いっつも考えさせられます。
「社会」って何なんだろうって。
それを専門に考えるはずの学問でも、実はあんまり正面きって問われることのない問い。
ほんまに、「社会」って何だか、難しい。
友人・知人・親族の範囲、自分がこれまで生きてきた履歴の範囲、生産関係のアンサンブル、制度
的に客観的な仕組み、個人に対して外在的で拘束的な規範、主観的に意図された目的が了解で
きること・・・etc、どれも的を射ているけれど、どれも「それだけじゃないしなあ」ってなるし。
ゲゼルだのゲマインだの、それからゲノッセンだの、シャフトな定義はいくつかありますけども、どうにも定
義してから、それに立脚して考察を進めるってのに(何故だか)そぐわないんですよね。
「社会」という翻訳語の、そのオリジナル言語での概念にさかのぼっても、それらオリジナル言語の大元
のラテン語だのギリシャ語だのの意味にさかのぼっても、それは私たちの「社会」とは違うのですね。
だって「社会」という語が意味する内容は、その意味が通用する時代なり地域なり文化なりのコミュニ
ケーションの範域の従属変数でしかないから(※ 定義にそぐわないとか言った端から、こう述べた途端
に、「社会」について、私がどんな定義を採用しているかもろバレ中)。
でも、池井戸潤氏の小説を読むと、なんとなくその範囲がおぼろげに立ち上がってくるような気がする
のです(アンダーソンじゃないけれど、でも小説によって想像の共同体が個人に内面化される機制に
間違いはないけれど、しかしそんな気になる作家は実に稀)。
一例を挙げれば、この物語の当面の主人公とは、結局一面識もないまま物語が閉じられた、ホープ
自動車のメインバンクの融資担当の調査役の人とか。
「神の見えざる手」が作動する水準を、神ならぬ私たちが内面で想像する範域。
これを文字列を通じて読者の脳裏に描いてみせる、池井戸潤氏の(いわゆる経済)小説は、実は
非常にすぐれた「社会」の範型を描いているのではないか、とか。
妄想は広がります。
空飛ぶタイヤ
著者:池井戸潤出版社:実業之日本社サイズ:単行本ページ数:489p発行年月:2006年09月この著者の新着メールを登録する※2月3日ごろの出荷予定となります。2006年11月号掲載トレーラーの走行中にはずれたタイヤ...
空飛ぶタイヤ
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